今回は三菱重工業の日の丸ジェット旅客機三菱スペースジェットが迷走の末先日開発中止に追い込まれた件につき、ちょっと趣味に走って恐縮ですが、少しお話ししたいと思います。
 そもそも2003年5月に三菱重工が初の国産ジェット旅客機の開発に取り組む意向を表明した時には、やっと国産ジェット旅客機の時代が来るものと密かに喜んだものです。開発準備に取り掛かった三菱は、マーケティング調査をやり直した結果、05年4月に機体のサイズを70~90席に大型化するとともに、省燃費で高い経済性を持つ三菱リージョナルジェット(MRJ)のコンセプトにまとめていました。 最も重視したのは、高騰する燃費対策で、空気抵抗の少ないスタイリッシュな胴体、米国メーカーP&W社が開発した出力に応じてギアを変える高効率エンジンを備え、燃料消費を既存機よりも2割改善。さらに、主翼には騒音を削減するJAXAの開発した新構造を採用し、炭素繊維の複合材を使用するなど、最先端のリージョナルジェット旅客機となりました。ちなみに、競合機が同エンジンを採用する新型機計画よりも2年も先行していたそうです。ただメディア上では「日の丸ジェット」の言葉が乱舞していましたが、装備品の多くは海外メーカーの既存製品で、三菱の意思は反映しにくく、コスト面でもマイナス要因となっていました。

 08年3月に全日空が25機の購入を決めたことで三菱は正式に事業化を決定し、投資資金を3500億円と見込み、本格開発に着手しました。4月に開発・製造・販売を目的にした三菱航空機を設立し、11年初飛行、13年納入開始のスケジュールを発表し、販売では米国の地域航空会社などからの受注も入り始め、将来目標は20年間に2500機などという威勢のよい数字も飛び交うようになりました。
 問題が起こったのは09年9月でした。主翼に採用する予定の複合材は製造コストがかさむので既存材料に変更するが、主翼の設計をやり直すため、納入開始を14年4~6月に延期することを発表しました。15年11月には初飛行に成功したが、新たな課題が次々と浮上し、飛行試験機の数を増やし、飛行拠点を天候が安定している米国に移して飛行時間を稼いだが、深刻なのは、型式証明の取得が見通せないことでした。そこで、自前主義の方針を捨てて経験豊富な外国人技術者を大量に採用し、課題の解決のスピードアップを目指しましたが、主要部品の仕様変更、ソフトウェアの改修などでスケジュールの後ろ倒しは6回も続きました。一方、航空業界では、原油価格の落ち着きとともに、機体に対する要望が変化し、多少、燃費が落ちても貨物も積みたい、将来の代替燃料(SAF)に対応してほしいなど、時間経過とともに要望が変ってきました。イメージ刷新を図り、客室空間の広さをアピールするため、19年6月に名称を「スペースジェット」に変更しましたが、20年前の機体コンセプトを変えることはできませんでした。
 18年間に投資した資金は1兆円に上り、完成予定期日を6回延期。6機の試験機で延べ3900時間の飛行試験を行いましたが、結局商業運航に必要な国の型式証明を手に入れることができず、事業中止に追い込まれました。
 航空ファンとしては忸怩たるものがありますが、最近の三菱重工業はH3ロケットの打ち上げ中止の問題もあり何かかっての栄光に翳りが見られます。これは三菱一社のみならず、今更ですが嘗て世界を席巻した日本のものづくりの退潮を示しているようで残念でなりません。どこからか新しい芽が出てくれることを期待しています。
 

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